2015年3月18日水曜日

感謝 ~ 「当たり前」が「有り難い」

当社の社員の皆さんへ毎月お届けしているメッセージから抜粋です。

日本は物質的には豊かな国となり、親はわが子の望みを叶えようと、出来る限りのことをしてやり、与えてきました。
しかしその反面、「与えられる」ことや「してもらう」ことに慣れてしまい、それが「当たり前」になって、望みが叶えられないことに不平不満を抱き、愚痴をこぼす、心の貧しい、自立できない人が増えてきています。
この「心の貧困」から脱するためには、「当たり前」のことが、実は「有り難い」ことだと気づくことが大切なのですが、それは口で言うほど簡単ではありません。

私は先日、『子どもたちが身を乗り出して聞く道徳の話』(致知出版社)という本に出会いました。
その中には、現役の小学校教師・平光雄先生が、絵に描いたり標語を作ったりしながら、「自信」や「勇気」、「友情」等の意味や大切さを子供たちに伝え、日常の行動に結びつくよう努力されている実例が書かれています。
その中から「感謝」について書かれた部分を以下にご紹介します。

今、私たちはここ(●印の部分)にいるんだ。

縦軸が歴史、横軸が世界。
今、ここにいて、「縦軸の上方向」=「未来」に向かって進んでいるんだけど、いつもこの十字の交差点にいることを忘れてはいけない。
縦軸と横軸を知ると、今、この時代に日本で生活しているということの大きな大きな幸運に気づくはずだ。
「有り難い」ほど恵まれた場所にいるのが私たちだ。
縦軸を下れば、戦争。
横軸にはいっぱいの貧困地帯がある。
その中で、ここにいるということの有り難さ。
決して「当たり前」ではないことばかりなんだ。
毎日三度のご飯が食べられることだって、清潔な服が着られることだって、薬があることだって、爆弾が落ちてこないことだって縦・横を見れば決して「当たり前」のことじゃない。
それは少し勉強すればすぐにわかる。
これだけ「有り難い」中にいて、ちょっとあれが足らない、ちょっと思うようにならない、快適でないからといって不平不満ばかり言うってことがいかに、噴飯物(ふんぱんもの)であるか、いつも自覚してなきゃいけないんだよ。
つまらないことで文句を言いそうになったら、この十字を思い出して、感謝の心を大切にしながら、毎日生活していこう。

2015年3月13日金曜日

「感動で応える」

当社の社員の皆さんへ毎月お届けしているメッセージの中から、「感動で応える」をご紹介します。

今月は、わが社の「事業の目的と存在意義」として定めた「感動で応える」について述べたいと思います。
まず、わが社はいったい何を目的に事業を行ない、何のために存在しているのか? 社会から必要とされるわが社の存在価値とは何か? について、議論を重ね導き出したのが「感動で応える」です。
では、「感動」とは何でしょうか?
私たちが日常好んで使う言葉ですが、辞書には「ある物事に深い感銘を受けて強く心を動かされること」とあります。
また、「感動」を表現する言葉(感動語)は多岐にわたり、2005年にNHK放送技術研究所が行った「感動の分類と感動の評価語について」の研究によると、感動語は以下のように分類されます。
いかがでしょうか?
「悲痛」という負の感情も感動の一つであるという点は、私には新たな気づきでした。
これまで、意識して遠ざけてきた負の感情ですが、悲しい時には悲しみ、嬉しい時には喜ぶ。
それで良いのかもしれないと感じました。
私たちは、仕事を通じて様々なことを体験し、その体験に自ら感動し、周りの人々にも感動を与えています。
もしも、「仕事に感動がない」と思う人がいるならば、「ありがとう」の言葉を意識的に使ってみてはどうでしょう?
「ありがとう」と言った本人と言われた相手の双方に、小さな感動が生まれる予感がしませんか?

「感動」には、その人の心と人生を豊かにする効能があると思います。
私たちの携わる仕事の全てを「感動」という絆で結びつけ、自らと関係する人々に豊かさと幸せをもたらす会社、「感動で応える」会社を目指したいと思います。